単独登山

「すると、主の使いがもう一度エリヤに触れ『起きて食べなさい。この道のりは耐え難いほど長いのだから』と言った。エリヤは起きて食べ、そして飲んだ。その食べ物で力をつけた彼は、四十日四十夜歩き続け、神の山ホレブに着いた。エリヤは、そこにあった洞穴に入り、夜をそこで過ごした。すると主の言葉が臨んで、『エリヤよ、あなたはここで何をしているのか』と言われた。」 (列王記上19章7-9節)
 私が登山を始めた頃は、ほとんどが一人で登る単独登山でした。しかも、丹沢にある源次郎沢や葛葉川の沢登りからでした。そんなマニアックな登山を一人で始めるなんて、変わり者だと思います。その後は、リュックにテントと寝袋を背負って山々を縦走していました。背中に衣食住を背負ってひとり山を歩いていると、心が敏感になります。風の音、森のざわめきが聞こえます。 しかし一人というのは不安もあって「道を間違えたのではないか」「もし何かあったらどうしよう」。誰かが隣にいれば、一言で消える不安なのに、単独登山ではそれが大きな塊になって心に居座るのです。昼間は平気でも、夜のテントの中では不安がどんどん膨らんでいきます。それは山だけではありません。人生にも、そういう夜があります。 預言者エリヤは山に登り、孤独な夜を迎えていました。大きな戦いを終えたあと、命を狙われていました。彼は木の下に座り込み「もうたくさんです。私の命を取ってください」と神に訴えました。強い預言者として知られる彼も、心が折れそうになっていたのです。 神はそんなエリヤを、まず眠らせ、食べさせ、休ませました。そして山へ導かれます。その山で、激しい風が吹きました。次に地震があり、火がありました。けれど主はその中にはおられなかった。そして最後に、エリヤは「静かな細い声」を聞き回復していきました。単独登山というのは、一人だからこそ、自分の弱さが見えるものです。気を紛らわせる会話もないので心がむき出しになる。けれど凍える朝に差し込んだ朝日や、満天の星空が心の奥深くに刻み込まれていく。それはエリヤが聞いた「静かな細い声」に似ています。孤独が闇をより暗くし光をより眩しくする。それは信仰の旅にも似ています。
《祈り》神さま、私たちはエリヤのように疲れ果て、孤独に立ち尽くすことがあります。誰にも分かってもらえない思い、不安に押しつぶされ、自分の弱さばかりが見えてしまいます。疲れた者に力を、弱った者に慰めを、受け取ることができますように。
牧師 和田一郎
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