置かれたところで咲く

「その人は流れのほとりに植えられた木のよう。時に適って実を結び、葉も枯れることがない。その行いはすべて栄える。」 (詩編1編3節)
 渡辺和子さんは、30歳を前にして修道院に入る決心をしました。その後、修道会の命令でアメリカへ留学し、帰国後は岡山のノートルダム清心女子大学に派遣されます。ところが、その翌年、二代目学長が突然亡くなり、36歳という若さで三代目学長に任命されました。それまでの学長は70代後半のアメリカ人でした。しかも渡辺さんは、その大学の卒業生でもありません。周囲の人々も、そして本人も、大きな驚きと戸惑いの中に置かれました。慣れない責任ある仕事を担い、苦労の連続だったそうです。「挨拶してくれない」「こんなに頑張っているのに、ねぎらってくれない」「わかってもらえない」そんな思いが積み重なり、渡辺さんは自信を失い、修道院を出ようとまで思いつめました。 その時、一人の宣教師が、一編の短い英語の詩を渡してくれました。それが、「置かれたところで咲きなさい」という言葉でした。そこには、こんなメモが添えられていたそうです。「咲くということは、ただ諦めることではありません。自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人も幸せにすることです。その姿によって、“神さまがあなたをここに置かれたのは間違いではなかった"と証しするのです。」その言葉を読んだ時、渡辺さんは気づきました。 「置かれた場所への不平不満ばかりを口にし、人の態度によって幸せになったり不幸せになったりしているなら、私は環境の奴隷ではないか。」そして彼女は「どんな場所でも、自分の花を咲かせよう」と決心しました。それは、周囲が変わることを待つのではなく、「まず自分が変わる」ことから始まる道でした。 『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著) 置かれたところとは「理不尽だなあ」と思うことがありますが、その環境をすぐに好きになれなくても、自分らしい花を咲かせようとする時、神さまは用いてくださいます。
《祈り》主なる神さま、私たちは置かれた場所で、思い通りにならない現実に心を曇らせます。人の言葉や態度に振り回されず、神さまに繋がりながりながら、自分らしい花を咲かせることができますように。
牧師 和田一郎
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