ヤコブは誰と格闘したのか

「ヤコブは一人、後に残った。すると、ある男が夜明けまで彼と格闘した。ところが、その男は勝てないと見るや、彼の股関節に一撃を与えた。ヤコブの股関節はそのせいで、格闘をしているうちに外れてしまった。男は、『放してくれ。夜が明けてしまう』と叫んだが、ヤコブは『いいえ、祝福してくださるまでは放しません』と言った。」 (創世記32章25-27節)
 ヤコブはいったい誰と格闘したのだろう? マルティン・ルターは「この箇所は旧約聖書の中で最も難解に属する箇所」としています。夜明けまで一晩中、ヤボクの渡し場でヤコブと格闘した人が誰だったのか、という疑問があり、それはどこかの人間にすぎないのか?それとも神の使いなのか?という問いです。これまで神学者たちは、ヤコブの夢であると考えたり、寓話やヤコブの祈りとして考える人もいました。 ホセア書12章4節では、ヤコブの相手は「神の使い」とされています。そして旧約聖書の神の顕現には、通例として「主の使い」という語が使われます。主とは「ヤハウェ(父なる神)」のことです。ですから「主の使い」は単なる天使以上の存在であり、同時に「主」そのものとも区別されていて、神が人間に近づくための、架け橋的存在と理解される非常に不思議な表現です。すると主イエス・キリストが御使いの姿をとって現れたと理解できるのです。学術的には諸説に分かれますが、伝統的に多くの教会では「受肉前のキリスト」と解釈されています。 ヤコブが格闘した場所はヤボク川の近くでした。エサウから逃れていたヤコブが、ようやく「約束の地」へ入っていく境界線となる場所です。そこで主イエスと格闘し、自分の策略に頼って生きてきたヤコブが、イエスさまに砕かれ、新しい名「イスラエル」を与えられ、傷を負いながら歩む者になる、という転換点であり、約束の地へ入る直前の、霊的な境界でもあったのです。 私たちもまた、人生の境界に立たされる時があります。自分の経験や策によって生きようとしても、どうにもならない夜があります。しかしそのような時こそ、主との格闘を通して、本当の自分と、新しい歩みへと導かれていくのではないでしょうか。
《祈り》神さま、私たちの、自分の知恵や力だけで生きようとする弱さを憐れんでください。心の格闘の中にあっても、あなたの祝福を求め続けることができますように。
牧師 和田一郎
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