二つの手のあいだから生まれる音

「そこで、人々は神を賛美しながら、大声で喜び、手を打ち鳴らした。」 (詩編47編2節)
 礼拝で新しい方を紹介するとき、私たちは拍手で歓迎の気持ちを表します。コンサートでは演奏者に、スポーツでは選手に、そして喜ばしい出来事にも拍手を送ります。一方で、会議などでまばらに「パラパラ…」と起こる拍手には、戸惑いや落胆がにじむこともあります。また「パン、パン」と力強く手を打つことで、「規律を正そう」という意思が表現されることもあります。同じ拍手でも、その響き方によって喜び、感謝、あるいは戒めや決意までも伝えることができますね。よくよく考えてみると、ただ手を叩くだけで様々な思いを伝えています。 ところで、その拍手の音はどのように生まれているのでしょうか。ある大学の研究チームが高速カメラなどを用いて調べたところ、拍手の音は単に手と手がぶつかる音ではないことが分かりました。手のひらを合わせると、その間に小さな空洞ができます。その空洞の空気が圧縮され、指の隙間から出入りするときに共鳴が起こります。この共鳴は、空き瓶の口に息を吹き込んだときに「ボー」と鳴る「ヘルムホルツ共鳴」と同じ原理です。私たちが「パン!」と聞いている拍手の音の主成分は、この空洞の共鳴音なのだそうです。 つまり、拍手の音は手と手がぶつかるだけではなく、その間にある空間と、そこを満たしている目には見えない空気があって初めて、豊かな響きが生まれるのです。 人と人との関係にも少し似ていて、私たちは自分の思いだけをぶつけ合っている時よりも、その間に相手への思いやりや信頼、そして神の愛が満ちている時にこそ、よい響きを生み出します。教会も同じで、ただ人が集まるだけではなく、その間に聖霊なる神が働いてくださる時、そこに真の交わりが生まれます。 礼拝で新しい方を迎える拍手も、神さまを賛美して叩く拍手も「あなたを歓迎します」「主よ感謝します」という思いが共鳴するとき、神の家族としての豊かな響きとなるのではないでしょうか。
《祈り》天の父なる神よ。私たちに出会いを与え、共に生きる仲間を与えてくださり感謝します。私たちの間にあなたが働かれ、美しい共鳴を生み出してくださいますように。
牧師 和田一郎
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