心の境界線

「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。」 (ヨハネの黙示録3章20節)
 月曜日の休日、妻が「美術館に行こう」というので、東京都美術館で開催されていた「アンドリュー・ワイエス展」を観に行きました。上野駅から歩いて美術館の窓口に着くと「ワイエス展は本日休館です」とのこと。「えっ!」かなりのショック。しかし、館内の売店はやっていて、そこにワイエスの画集が売ってあり、しばし、じっくり立ち読み・・・。そこには、明るく華やかな風景画ではなく、アメリカの荒涼とした田園や身近な人々の姿。そこに、心がぽっかりと空いたような孤独感が表現されていました。日本人の好む「わびさび」にも通じるものがある。それがワイエスが日本人に好まれる所以でもあるのでしょうか。 ワイエスの描く絵には「窓」や「戸口」がモチーフになっていて、それが心と外界との境界線を表しているそうです。人物の表情には、虚しさの中にも、何かを待ち望んでいるかのように感じました。人は皆、自分の心の中に小さな部屋を持っていて、そこには誰にも見せられない痛みや大切なものがあると思います。表面では明るく振る舞っていても、内側には荒涼とした風景が広がっているものです。ワイエスの描く戸口はその境界なのですね。 しかし、主イエスはその戸口に立っています。遠くからではなく。私たちの荒涼とした心のそばに立ち、扉を叩いておられます。そして扉を開くなら、「共に食事をする」と約束されます。食事とは、交わりであり、受け入れであり、関係のしるしです。主イエスは、私たちの寂しさの中に入って来て、共に座ってくださるのです。
《祈り》主イエスさま。私たちの心の戸口に立ち、忍耐強く呼びかけてくださることを感謝します。どうか心を開き、あなたをお迎えすることができますように。寂しさの中にも共にいてくださるあなたの平安で、私たちの心を満たしてください。
牧師 和田一郎
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