徳に心を留める

「なお、きょうだいたち、すべて真実なこと、すべて尊いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判のよいことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」 (フィリピの信徒への手紙4章8節)
 アルゼンチン出身のプロゴルファー、ロベルト・ビセンゾ(1923~2017年)には、一つの逸話があります。あるトーナメントで優勝し、賞金を受け取って帰ろうとした時。駐車場で一人の女性が声をかけました。「私には病気で死にそうな赤ちゃんがいます。でも仕事がなくて、病院へ行くお金がないのです。」 その話を聞いたビセンゾは、受け取ったばかりの賞金小切手にサインをして、そのまま彼女に手渡しました。女性は涙を流しながら、「ありがとうございます。これで赤ちゃんを診てもらえます。」と言って去りました。ところが一週間後、ゴルフ協会の役員がビセンゾに言いました。「実は、あの女性は詐欺で捕まったよ、赤ちゃんなど最初からいなかった。全部うそだった。」それを聞くと彼は言ったのです。「そうですか。死にかけている赤ちゃんはいなかったのですね。それは今週一番の良い知らせです。」 日本語には「徳」という言葉があります。「徳を積む」「徳が高い」「人徳がある」など、人格からにじみ出る品格を表す言葉として用いられます。しかし、新約聖書で使われている「徳」(アレテー)というギリシア語には、少し異なる響きがあり、それは「優れている」「卓越している」というのが本来の意味です。つまり、人間が神から与えられた本来の姿を十分に発揮している状態、最も美しく輝いている姿を表しています。誠実さ、勇気、思いやり。そのような人格の卓越性こそがパウロのいう「徳」です。 ビセンゾは、お金を失いました。しかし、もっと大切なものを失いませんでした。それは人を思いやる心、自分の善意を惜しまない心です。パウロは、神から与えられた本来の姿がある、「それを心に留めなさい」と勧めました。「心に留める」とは、そのような神から与えられた生き方を、自分の生き方として選び取っていくことです。徳ある人に出会うとき、私たちの心もまた豊かになります。そして、自らもそのように生きたいと願うようになります。善は善を生み、愛は愛を育てるのです。
《祈り》天の神様、真実なこと、徳あることに心を向けて歩む者としてください。人を疑うよりも、損得よりも、あなたから与えられた善き心を、失うことがありませんように。
牧師 和田一郎
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