機械を使うと“機心”が出る

「私には、すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありません。私には、すべてのことが許されています。しかし、私は何事にも支配されはしません。」 (コリントの信徒への手紙一6章12節)
 ある人が、旅していたときのことだ。年老いた農夫が一人で、瓶に水をくみ、畑にまいていた。あまりに多くの労力がかかり、仕事の能率が悪いのを見かねて声をかけた。 「水をくむならば、いい機械がありますよ。」農夫は答えた。「私も知っている。だが、機械というものを使うと機心(きしん)が出る。何かと機械に頼り、効率ばかりを追いかけるようになるのが『機心』だ。そんなカラクリの心は不純だ」と農夫は言った。 「機心(きしん)」という言葉は、中国の古典『荘子』に由来します。便利で巧妙な機械を使うようになると、人は効率や技巧を重んじ、やがて心にも小賢しさが生まれ、本来の素朴な心を失ってしまうという警告です。 現代ほど、この言葉が身近に響いてくる時代はないでしょう。今や、考える機械であるAIの話題を聞かない日はありません。AIは疑問に即時に答え、知識を与え、複雑な問題にも丁寧に対応してくれます。それは私たちの働きを助ける、有益な道具です。 しかし、便利なものが、いつも私たちを豊かにするとは限りません。すぐに答えが得られることで、自分で考える力が弱まるかもしれません。効率ばかりを求めて、人の話をじっくり聞き、迷いながら祈り、心を通わせる時間を惜しむようになるかもしれません。 パウロは、「すべてのことが益になるわけではない」「私は何事にも支配されはしない」と語ります。信仰者の自由とは、他人との比較や、欲望に満ちた、この世の奴隷にならず、神の前で本当に大切なものを選び取れることです。 AIを遠ざける必要はありません。しかし、AIには答えられても、愛することは私たちに委ねられています。考える機械が発達する時代だからこそ、私たちは何を考えるかだけでなく、どのような心で生きるかを、神の前で問い続けたいのです。
《祈り》主よ、便利さや効率に心を奪われ、大切なものを見失うことがないようにしてください。「機心」に支配されず、神の御心を選び取る知恵をお与えください。
牧師 和田一郎
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