こんな私をも

「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」
(ルカ5:27-28)

ある日、イエスさまは収税所の前を通りかかってレビと言う名の男と出会ったのです。
イエスさまの通りかかった「収税所」というのは、ユダヤ人の人々がローマに納めるお金を集めるところです。当時、ユダヤの人々は、収税所で働く人のことを「罪人」呼ばわりして、大変嫌っていました。
というのは、収税所で働く人々は、ローマに納めるよりたくさんのお金を人々から集めて自分のものにし、自分だけがお金持ちになっていたからです。
イエスさまが収税所のそばを通った時、イエスさまの周りにいたたくさんの人々は、みんな嫌な顔をしてレビを見ていました。

ところが、イエスはそうなさらなかった。むしろ、その人を「見た」と27節に出てきます。つまり、よく「ご覧になった」のです。
そして、イエスさまの方からレビのそばまで近寄って、彼に声をお掛けになった。「わたしに従いなさい」というのです。

ところで、このレビは、福音書を書いたマタイです。マタイは主イエスの弟子となりました。なぜ、主イエスはユダに会計の労を取らせ、マタイを用いられなかったのか、とも思います。
そのような考えに私たちが走るときに、「主イエスに従う」ということは、自分でも気づかなかったような賜物が引き出され、それが豊かに用いられていく信仰の奇跡であることを覚えたいと思うのです。
「さあ、ここに座りなさい。ここにあなたの場所がある!」と語りかけてくださる御方であり、居場所のない世界の中で、体を張り、命をかけて居場所を用意してくださる御方こそ、このイエスさまなのだということを確認したいと思うのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘

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