弁明できるように備えていなさい

「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」
(1ペトロ3:15)

 洗礼を受けたてのホヤホヤの頃、家族の者にイエスさまのことを伝えることがいかに難しいか、ということを経験しました。
私のことを良く知っておりますので、言葉で証ししてもなかなか通じない。また改まって話すのも気恥ずかしい思いもいたしました。
 そのような時、クリスチャンの仲間が何人か我が家に来て、食事をし、宿泊する時がありました。
すると不思議なことに、私の両親が友人に次々と信仰についての色々な質問をしたのです。
そのやり取りを聞いていて、〈親父やお袋は、こういうことを知りたかったのか。
そう言えば自分も洗礼を受ける前に引っ掛かっていたことだな〉と思いました。

 今日、あなたが友人や職場の同僚から、「なぜ、洗礼を受けたの?」「なんで教会に通っているの?」と訊かれたら答える備えが出来ていますか?
 私は、クリスチャンになりたての頃、そうした場面に何度も出くわしてきました。でも、投げかけられる真剣な問いかけに対して、適切な答えを返せない自分を発見しました。
何故?それは自分でもよく分かっていなかったからです。

 ペトロは、「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」と勧めます。
実は、この「備え」こそ、ある意味で聖書を学ぶことの1つの意味でもあります。
 御言葉を自らに語られたものとして、自分にあてはめて聴くことの目的の1つは、今日の聖句が教えるように伝道に備えるためです。
 何故なら、証しすべき福音の中身を知り、その恵みの大きさを味わう中で、あなたは主の証し人として整えられていくからです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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