祭壇を築く生活

「主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。『さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。』
アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。」
(創世記13:14−18)

 アブラムが天幕を写して住み着いた土地は、おいのロトが選ばなかった方の土地でした。それはある意味で「残りもの」です。
 でも、真の意味であなたを支え生かすのは「土地」そのものではなく、その土地をも与えてくださる主なる神さまなのです。
 ともすると私たちは「土地」そのものが私を支え生かすものであると錯覚することはないでしょうか?アブラムの時代の人々にとっての「土地」は、今の私たちにとっては「会社」や「仕事」、「学校」や「貯蓄」であったり・・。
でも、よくよく考えてみれば、そうした会社や仕事や学校や蓄えも、神さまからの恵みの賜物に過ぎません。
 主なる神さまはアブラムに、「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」と、以前アブラムと結ばれた恵みの契約を思い起こさせたのです。
 その恵みに応えるように、アブラムは新しく移り住んだ土地に祭壇を築くところから始めました。それは、自分を生かすのは「土地」ではなく、「土地」を含めすべての恵みを備えてくださる主なる神さまなのだとの信仰を表明する行動でもありました。

 ところで今日あなたは、恵み深い神さまにどのように信仰の応答をしますか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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