選択する責任

「あなたの御手はわたしの助けとなるでしょう/あなたの命令を選び取ったのですから。」(詩編119:173)

 レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をご存じでしょうか。
 ダ・ヴィンチはその絵を描く時に、イエスさまと、そして12弟子のモデルを捜したそうです。
 すでにイエスさまを描き、弟子たちも描いたのですが、イスカリオテのユダのモデルとなる人が見当たりませんでした。
また、たとえそうした人物が見つかったとしても、「ユダのモデルをお願いしたい」とはなかなか切り出しにくいお願いでした。

 ある日、ダ・ヴィンチは、いつものように街に出てユダのモデルを捜し歩き始めたのです。すると、ちょうど道端のところで暗い顔をし、泥だらけの服を着て、酒に酔い潰れ、横になっている男を見つけたのです。
彼の姿、彼の疲れた表情、額に刻まれたしわを見た瞬間、〈彼こそ、私がイメージしているユダそのものだ!〉と直感しました。そして勇気を出して彼にモデルになって欲しいと願ったのです。
 「すみませんが、実は、お願いがあります」とダ・ヴィンチが切り出し、「最後の晩餐」に登場するイスカリオテのユダのモデルになって欲しいと頼んだそうです。
 すると彼はダ・ヴィンチの顔をまじまじと見て言いました。
 「実は、2年ほど前、あなたに頼まれて、イエスのモデルになった男が私です。」

 この物語は、1人の男がイエスさまのモデルにもなりうるし、またユダのモデルにもなりうることを雄弁に語っているように思います。
 神さまは私たち人間を神のかたちに似せてお造りになりました。ロボットとしてではなく、主体的に御心を選んで命の道を歩む喜びにあずかるようにとお造りになったのです。
 今日のあなたの選びは、明日のあなたの姿と深く関係しているのですね。イエスさまに守られ、命の道を選びとっていきましょう!

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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