見えない神さまとの関係を大切に

「とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。
『ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。
だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。』」
(ルカ12:1−3)

 我が家に長女が生まれたときのことです。義理の父から借りたビデオカメラで一生懸命撮影しました。ちょうど、娘が歩き始めたことを撮るためでしたが・・・。
その時、ビデオに洗濯物の山が見えるのですね。
 私はビデオを撮影しながら、「お母さん、その洗濯物、映るから、ちょっと横に寄せて!そうそう。OK」と言いながらビデオを撮ったのですが、後で見たら、その声が全部入っているのですね。
確かに画面には洗濯物は映っていないのですが、声がしっかりと録音されていました。あとでそれが分かって、大笑いした経験があります。

 見えていない物は存在していないのではなく、見える人には見えるのですね。
 私たちの神さまの御前には、まさにそういうことなのです。
 私たちは見えることだけを大切にしますが、でもどうでしょう。表があれば、必ず、その表の生活を支える裏の生活、皆が知らない生活があります。

 山上の説教の最後に、イエスさまは家と土台の話をされましたが、その土台は目に見えませんが、しかし、主はその土台がどこによって立っているかを問題にされたのです。主は土台を見ておられるのです。
 あなたと神さまの関係はどうですか?「信仰生活の5つの基本」を大切にしておられますか?そのことを通して、見えない神さまとしっかりつながって、今日も歩んでいきたいと願います。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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