心のほお嚢

「この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。」(口語訳 ルカ1:29)

 天使を通して、神さまがマリアにご計画が伝えた時、彼女は戸惑いました。そして「彼女は思いめぐらしていた」と聖書は伝えています。
 実は、ルカ福音書には、何度か、思いめぐらすマリアのことが紹介されています。
 例えば、過越祭でエルサレムに上京した少年イエスさまが、両親の期待を裏切るような行動をとってしまったことがありました。
そのために、マリアもヨセフも大変心配しました。その時も「すべて心に納めていた」と出てきます。
 ある人は、これを「心のほお嚢(ぶくろ)」と呼んでいました。
 このときのマリアは、彼女自身の予定や願いと神さまのマリアに対するご計画のズレを経験したのです。
そのズレを経験したときに、リスが消化しきれないものをほお嚢に一時入れておくように、マリアも「心のほお嚢」に、そうした分からない、いま解決できないことを納めていました。

 では何故、マリアにとってそうしたことが可能だったかと言えば、神さまに対する深い信頼があったからです。神への信頼と「心のほお嚢」との大きさは比例します。
 じゅうたんの裏側を見るとき、複数の糸が無秩序に絡み合っているようにしか見えない現実があります。意味が分からない現実もあります。
しかし、時間がたってじゅうたんの表側から見る機会を得るときに、摂理の神の備えの意味を知る経験が必ずある。
それまで「心のほお嚢」に納めておくことがマリアの子育ての秘訣、そして恵みではないと思える出来事を、恵みにしていく秘訣だったのです。
 私たちに与えられている「心のほお嚢」を活用し、主の恵みを恵みとして受け取れるように。そして、その恵みから感謝と喜びが私たちの心に溢れ流れることが起こるように、祈り求めていきたいと思います。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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