へりくだって神と共に歩む
「何をもって、わたしは主の御前に出で/いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として/当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
主は喜ばれるだろうか/幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を/自分の罪のために胎の実をささげるべきか。
人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、
これである。」(ミカ6:6−8)
まだまだ暑さが続いています。暑さの中でせみの声が聞こえています。
三好達治の詩に「せみ」という作品があります。夏の詩です。
せみは鳴く/神さまがネジを/お巻きになっただけ
せみは忙しいのだ/夏が行ってしまわないうちに/
ゼンマイが/すっかりほどけるように/せみが鳴いている/
私はそれをききながら/つぎつぎに昔のことを思い出す/
それも、おおかたは悲しいこと/ああ、これではいけない
思い出すと悲しいこと、思い出して自分がいやになること、そう言うことは、誰にでもあることだと思います。
三好達治はせみの鳴くのを聞きながら、そんな自分を振りかえって「ああ、これではいけない」と自分に言い聞かせているように、この詩を作ったそうです。
今年も半分以上が過ぎました。振りかえってみて「どうだったかな…」と思います。イエスさまの御前に反省すべきことが多かったような気がします。
新しい思いをもって一年を始めたのに、いつの間にかいつもの私に戻っている…。そんなことを感じるのです。
今日の聖句は、預言者ミカが記したものですが、彼は幻を見ながら、神さまの喜ぶことって何だろうと考えます。
私たちも、自分が喜ぶことは神も喜んでくださるに違いないと誤解することがあると思います。
ところがミカは、神さまは喜ばれ求められることは「へりくだって神と共に歩むことである」と気づくのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘