福音を信じて神の国を生きる
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)
イエスさまが活動を開始される前、洗礼者ヨハネが罪の悔い改めの洗礼を宣べ伝えていました。
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」(ルカ3:7、8)と語りました。
洗礼者ヨハネの神の国のメッセージを説明するならば、
「神の国が来るということは、裁きが来ることだから、今までの生き方を方向転換して、悔い改めにふさわしい実を結ぶ生き方をするように」ということでしょう。
ところで、裁きが来ると困るのは誰でしょう?罪人です。裁きとは総決算を意味しますから。逆に、正しい人にとって神の国が来ることは報いの時が来ることを意味していましたから、神の国の到来は大歓迎でした。
いずれにしても、ヨハネの教えによれば「神の国が来ると罪人が困る」という結論になります。
これに対してイエスさまのメッセージには新しさがありました。それは、「罪人にとっての福音のメッセージ」だったからです。
一言で言えば、「罪人が裁かれる」ではなく「罪人が赦される」というメッセージ、それゆえに福音でした。
考えてみれば、自分は正しいと思う人も含め、神さまの義と聖の基準の前には、全ての人が罪人なのです。放蕩息子も、律法をことごとく守っていると自負するそのお兄さんも、神さまの目から見たら失われた者同士でした。
イエスさまは、その両者に対して、「神の国は近づいた。考え方をひっくり返して、神さまの無条件の愛、神さまの赦しの愛を信じなさい」と力強く説かれたのです。それが、ヨハネをはじめ、当時の多くのユダヤ人にとってつまずきを与えたのです。
私たちにとって当たり前に聞こえる福音のメッセージを、今朝もう一度、新鮮な心で受けとめさせていただきたいと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘