イエスさまから学ぶ
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
・・わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:14、16−18)
今日の聖句は「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」という「受肉」の神秘を語っています。これは、クリスチャンである者にとってはごく当たり前のことでしょうが、よくよく考えてみますと、物凄いことではないでしょうか?!
ここに出てくる「宿る」という言葉は「テントを張る」とか「仮住まいする」という意味の言葉です。旧約聖書を読むと、神さまは会見の幕屋に臨在し、そして神殿に臨在されたことが記されていますね。
ヨハネ黙示録には、「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり」(21:3)と書かれています。
ですから、いつか私たちも、モーセと同じように、いやイエスさまの弟子たちのように、顔と顔とを合わせるようにして神さまと交わる機会が約束されています。
父なる神さまのふところにいて親しく交わっておられた独り子イエスさまは、私たちに神さまのことを知らせるために来られたのです。イエスさまの人格と働き、そして教えを通し、神さまが一体どういうお方なのかを私たちに示されたのです。
ある人が「受肉とは靴づくりの職人が自ら靴になってしまう以上の出来事なんだ」と語っていましたが、今日、時間を取って「受肉の神秘」を味わい、神さまに感謝と賛美を捧げましょう!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘