優しさ
「香油も香りも心を楽しませる。友人の優しさは自分の考えにまさる。」
(箴言27:9)
作家の佐藤愛子さんが、ある夫婦のことから「優しさ」について書いていました。
その夫婦は、しょっちゅうケンカばかりしていたそうです。ご主人は、ちょっとしたことにも腹を立て、奥さんや子どもを怒鳴りちらします。それだけならいいですが、殴ったり蹴ったりもするそうです。
佐藤さんは、この男性は本当に優しくないなあと思っていたそうです。
ところが、ある日、その奥さんが「ああ見えても、うちの主人は優しいの」と自慢げに言ったそうです。というのは、実はその奥さんは足が不自由で、その上ひどい近視でした。
でも、ご主人はどんなに怒鳴って腹を立てた時でも、奥さんの体のハンディについて一度も口にしたことがなかったそうです。
佐藤愛子さんは、この夫婦の話を紹介しながら、本当に優しい人とは「人の気持ちが分かる人だ。知っていて、決して急所を突かぬことだ」と語っていました。
たぶんご主人は以前、人から急所を突かれるような辛い経験をしたことがあったので〈そんな思いだけはさせたくない〉という優しさがあったのだと思います。そこに彼の奥さんに対する愛がありました。私は、そう思うのです。
パウロもコリントの教会に向けて「このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。」(2コリント10:1)と言って、イエスさまが優しいお方であることを伝えています。
ある人が語っていました。日本語の「優しい」とは「憂いを持って人の傍らに立つと書く」と。まさにイエスさまのお姿そのものです。
今日、辛い経験をしたら、この憂いによってイエスさまのように優しい人になれると信じて、一日を過ごしてみたいと思います。
今も辛い中におられる方々と共にイエスさまがいてくださるように、また私たちの心も共にあるようにと祈ります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘