神さまの懇願

「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」
(新改訳 2コリント5:20)

 イエスさまは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」と教えられました。ですから伝道とは趣味の問題ではなく、私たちの使命であり責任です。
 パウロもコリントの教会へあてた手紙の中で、「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。
私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい」と語り、神さまの差し出した和解を頼むから受け入れて欲しいと懇願しておられると語ります。

 なぜそこまでして、神さまは人々に迫るのでしょうか。実はその理由について有名なヨハネ3章16節は次のように教えます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
 神が懇願する理由、それは、そのまま進んでいく先に永遠の滅びが待ち受けているからです。神さまはそうした私たちを御覧になって「滅びないで欲しい。永遠の命を手にして欲しい」と願われたからです。
そしてその根本的な動機は、「神は、世を愛された」とあるように、神さまがあなたを愛された、ということなのです。
 ですから、隣人に対してあなたができる本当の親切とは、あなたがその人にイエスさまのことを伝えることなのです。

 今日、あなたは誰にイエスさまのことを紹介するようにと神さまは願っておられると思いますか? そのことを祈ってみてください。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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