クリスチャンにとっての喜びの理由

「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)

 『ビジョナリー・カンパニー』とか、『ビジョナリー・ピープル』という本で有名なジム・コリンズという学者がいます。コリンズは、この社会で、いわゆる成功している会社や人物に焦点を当てて、その共通項は何なのかを一生懸命研究した人でした。
 仮に旧約聖書の列王記の時代にジム・コリンズ先生がおられたら、オムリやアハブにその成功の秘訣を聴きにいったかもしれませんね。「どうしたら価値観の違いを乗り越えて、外国とうまくやっていけますか?」とか、「経済的繁栄と信仰を両立するにはどうしたらよいでしょう?」とか・・。
 でも、聖書を読むと、そこには歴然とした聖書の基準があります。それは、「主の目の前にどうなのか」という基準です。
この世の価値基準で成功を収めたかもしれないが、永遠の神の国の基準で見る時に、神さまの国の前進に貢献する歩みなのかどうなのか、が問われているというのです。

 ある時、イエスさまと弟子たちとが2階座敷に入った時、まず弟子たちがしたことは、まず目立つ座席を探すことでした。
それに対して、イエスさまがなしたことは、たらいの水と手ぬぐいを探し、弟子たちの足を洗うことだったのです。
 世間はあなたを、どれほどの人々に仕えてもらっているかによって評価します。でも神さまは、どれだけの人に仕えているのかに関心を持っておられるのです。
 たとえ、『ビジョナリー・ピープル』に名を連ねなかったとしても、あなたの名前は天の書物に記されている。イエスさまはそのことを喜ぶようにと勧めています。

 ところで、今のあなたにとって、喜びの理由はどこにありますか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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