人生を総括するワン・センテンス
「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」(創世記5:24)
創世記5章の系図には「○○は、△△を生んだ。○○は□年生き、死んだ」という表現が繰り返し出て来ます。まさに「塵にすぎないお前は塵に返る」のです(3:19)。
今の私たちとは比べものにならないほどの寿命の長さ、また子孫の数がある反面、この長い寿命、子宝の豊かさを一瞬のうちに吹き飛ばし、吹き消してしまうほどの死の現実、死の威力に圧倒されます。
こうした系図は、死の力のもとにあって価値ある人生とは何かを私たちに突きつけているように思うのです。そうした中、エノクの生涯を表現する言葉に心が留まります。
「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」
ところで、欧米では、その人の人生を総括するようなワン・センテンス(一文)を墓標に刻む習慣があると聞いたことがあります。この系図に出てくる1人ひとりの記録を墓標にたとえるならば、その中でひときわ輝きを放っているのがエノクの「墓標」でしょう。
「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」
エノクの人生は、だれの目からも見ても神さまと共に歩む人生でした。
ところで、きょうは、3つの質問をさせてください。
1.あなたは今までの歩みを振り返り、それをまとめるとすれば、どのようなワン・センテンス(一文)になるでしょうか?
2.あなたが刻みたいと願う一文を思い浮かべてください。どのようなワン・センテンスにまとめることができますか?
3.そうした生き方を主にあってさせていただくために、今日、始められることは何でしょうか?
今日、どこかで時間を取って、イエスさまと一緒に考えてみたらいかがでしょうか。きっと素晴らしいビジョンが与えられることだと信じます!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘