神の御心を行う人
「そこでイエスに、『母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます』との知らせがあった。するとイエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった。」(ルカ8:20−21)
ある日、イエスさまのところに、イエスさまの家族がやってきました。ある人が気を利かせ「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」とイエスさまに知らせます。するとイエスさまは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになったのです。
聖書には、マリアがイエスさまから「お母さん」と呼ばれた記録が一度もないのです。自分のお腹を痛めて産んだ息子から「お母さん」と呼ばれないことに、マリアは心を痛めたのではないかと思います。マリアは、「御子の母」としての特別な使命があり他の人には分からない辛さや大変さがあったことでしょう。
ところで、ここでイエスさまが御語りくださったことの意味は、「神の言葉を聞いて行うことは、イエスさまのお母さん、イエスさまの兄弟として召されることなのだ」ということでしょう。
今日の聖句の少し前の箇所には「しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ」(7:30)と洗礼者ヨハネからの洗礼を拒んだことが書かれています。
イエスさまを信じて受洗するということは、まさに「神の言葉を聞いて行うこと」であり、神さまの御心、神さまの願っておられることです。9月から始まる洗礼入会準備会のお知らせが礼拝堂の受付にあります。
あなたの家族や友人で、礼拝に出席しているが、まだ洗礼を受けていない方がおられますか? ぜひ祈って、声をかけ、そっと背中を押していただけたらと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘