失敗の中で
「ダビデ王は多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚着せられても暖まらなかった。」(列王記上1:1)
列王記第1章に「王位継承の争い」という見出しがついています。
伝統的に列王記の著者は預言者であったと言われ、王国の分裂、その後、北イスラエル王国の滅亡、そして南ユダ王国がバビロンによって滅ぼされ、
王をはじめ大勢の人々がバビロンでの捕囚を経験する出来事までを記していますが、列王記の著者は預言者としての鋭い視点を持って歴史を紐解いています。
その彼が考えに考えたうえで筆をとって書き始めた言葉が1章1節にある「ダビデの老いの現実」でした。
つまり「王位継承の争い」の発端は、老いたダビデが後継者をはっきりとしないままに時が流れていった「決断力に現れた衰え」に原因を求めているのです。
さらにダビデの決断を遅らせた原因は、彼の肉体的、精神的衰えだけではありませんでした。
ダビデは本当に素晴らしいリーダーでしたが、こと、わが子のことになると自分自身を見失う傾向がありました。そのことも後継者指名を遅らせた原因だったようです。
私たちも日々の生活の中で失敗することがあります。その結果、この時のダビデのように周囲に多大な迷惑をもたらすことだってありうることでしょう。
さて、こうした中、ダビデは何をしたのでしょうか。彼は王として大切な行動を起こしました。つまり御言葉の約束に立ち帰ったのです。
確かにダビデは年齢から来る衰えがありました。また、子どもとの関わりにおける弱さも影響していたことでしょう。
でも預言者を通して神さまの御心が示されるやいなや、今まで受身のように見えたダビデが、一転、出来ること、いや、すべきことを最後まで責任を持って果たしているのです。
失敗をすることがありますが、そうした時に、どこに立ち帰るのか。ダビデの生き方は私たちの模範になることだと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘