愛の交わりに生かされて
「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、」(フィリピ1:1)
フィリピの手紙の冒頭の言葉です。ここに「テモテ」という名前が出てきます。このテモテという人物はパウロの宣教の協力者であり、パウロの次の世代の伝道者でした。
彼は若いギリシャ人で、後に書かれたテモテに宛てたパウロの手紙を見ると、彼は病弱で、気が弱く、様々な重荷を持った人物だったことが分かります。
パウロに比べ、器としては大きくなく、名を知られた人物でもありません。ところが、そのテモテをパウロは自分の名前と並べて記しているのです。
ある方が言っていましたが、これは「マルチン・ルターと山田花子」。「ジャン・カルヴァンと松本きよし」というような並べ方。つまり不釣合いなのです。
なぜパウロは敢えて、この手紙を連名で書いているのでしょう? その1つの理由に、次世代を担う若い伝道者を育てていきたいという熱い思いがあったかもしれません。
しかし、もっと大切なことはキリストの福音が語られていく時、そこに必ず愛の交わりが生み出されていくということです。
孤立したクリスチャンではなく、「パウロとテモテ」というように、横との関係が与えられ、テモテにとってパウロが必要であったように、
大使徒パウロと言えども、主にある兄弟としてのテモテとの交わりを必要としていた、ということなのです。
イエスさまを信じる時、私たちの人間関係が必ず変わります。親子関係が変わっていきます。夫婦の関係が変わり、友人との関係が変わるのです。キリストの愛が働くからです。
もしそうではないのなら、真剣に、熱心に祈り求めていきましょう。それが御心ですから、必ず実現します。本当の愛の働く関係になっていくのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘