生き生きとした信仰生活を送るために

「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。
あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。」(ヨハネ14:23−24)

 「キリストを愛そうとはせず、自分のみを愛する者、あるいは、喜んでキリストを受け入れようとはするけれども、決して仕えようとはせず、服従しようともしない者は、キリストの言葉を決して守ろうとはしない。
それゆえ、そのような人には、何も起こりはしないであろう。」

これはドイツの牧師、ボンヘッファーの言葉です。
洗礼を受けたはずなのに生き生きとした信仰生活を送れない理由がここに述べられています。一言で言えば、イエスさまを主としない生活です。その結果、御言葉を読むのですが、聖書に生きるところまでいきません。
十字架の前夜、イエスさまは弟子たちに対して最後の説教を語られました。今日の聖句はその一節です。
イエスさまを愛するとは、そのお方の言葉を守ることなのだ、と教えられました。そして、御言葉を守る恵みとして、父なる神の愛を深く体験し、その臨在の内に生きることができるというのです。
ある研修会で、学生時代の恩師がマタイ福音書の宣教命令の箇所を読みしみじみと話されたことを思い出します。
「今まで一生懸命に聖書を教えてきた。でもイエスさまの命令どおり、御言葉を守るように教えて来ただろうか、御言葉を生きるように説いてきただろうか」と。先生の話を聴き深く反省させられた経験を思い出します。
ところで、あなたの信仰生活はいかがですか?生き生きとした信仰生活をおくるために、今日、立ちどまってあなたとイエスさまとの関係を顧みる時を持たれたらいかがでしょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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