どんな境遇にあっても
「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」(フィリピ4:12)
聖書を見ますと、一人一人に特別な賜物が与えられていることを教えています。ある人にはもてなす賜物が与えられ、ある人には人を励ます賜物があります。
教える賜物や、料理の賜物。「結婚式のお世話をすることが私は大好きだ」と、ある方が話していました。たぶんそれが彼女に与えられた尊い賜物でしょう。
ところで、経験豊かなクリスチャンも、洗礼を受けたばかりの兄弟姉妹も、共通して授かりたい賜物があるのをご存知ですか?
それは、神さまを信じていれば必ず生きていけるという確信という賜物、希望を見出せないような状況にあっても神さまは生きて働いておられる、という確信という賜物です。
創世記のヨセフは「顔も美しく、体つきも優れていた」と紹介されています。どちらかと言うと私たちもこうした賜物を追い求めることでしょう。
でも美男で体格が良かったために、彼は大変な目に遭いました。ポティファル夫人に誘惑されて、結果的には牢屋に入れられてしまうのです。
ですから注目すべきことは、美男子で体格が良いというよりも、どんな境遇にあっても、神にある希望を見出し?神に信頼することのできることの方が、実は彼にとって大切な賜物であったと聖書は教えています。
パウロもヨセフと同じ経験をしました。「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」
今日、あなたに必要な賜物はどちらでしょう?「いついかなる場合にも対処する秘訣」という賜物を主からいただきたいですね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘