神さまに目を向ける

「こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。」(エフェソ1:15−19)

 今日の御言葉はパウロがエフェソの兄弟姉妹のために捧げた祈りの言葉です。素晴らしい内容だと思いませんか。
教会には様々な人々が集います。エフェソ教会も同じでした。パウロはそうした人全てがキリストにあっての信仰をいただいているので感謝し、またその信仰の結果、教会の中に温かな愛の交わりがあったから感謝したのですね。
ところで、信仰とは何でしょう?一言で言えば、ぶどうの木であるキリストにつながることです。信仰というのはキリストから流れてくる「恵みを流す管」であり、「キリストとあなたを結ぶパイプ」のようなものです。
ですからキリストにつながっていくことが信仰です。
時に「自分は信仰が足りない」と自らを責めることはありませんか?でも心配しないでください。その信仰がからし種のようであったとしても種には命があります。
主につながっている限り、信仰の「管」を通し恵みが流れてきて、いつか必ず実を結ぶことができるのです。それをして下さるのが神さまです。
自分を見て失望する必要はありません。むしろ絶大な働きをしてくださる神さまに心の目を向けましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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