あなたは何を求めますか

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)

 主なる神さまがソロモンを王様としてお立てくださったことは、神さまの一方的な恵みの出来事でした。
ソロモンは、今までの導きを振り返り、主なる神さまへの感謝に心が満たされ、一千頭の焼き尽くす献げ物をしたのだということを列王記は伝えています。
これは、主なる神さまの前に全てを焼き尽くして煙にするわけですが、正に全き献身を表すささげ方です。
そして、その日の夜、今度、主なる神さまの方がソロモンの献身に応えるようにして、彼の夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われたと言うのです。(列王記上3:4−5)
ところで、もし神さまが「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われたとしたら何を求めるでしょうか。
「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と尋ねられ、そして私たちがあれこれと考える時、そこに明らかに私たちが何を大事にしているか、何を求めて生きているか、が露わにされてくることでしょう。
こうした中、ソロモンは、「聞き分ける心をお与えください」と願いました。今、王様としての歩みをスタートする上で、イスラエルの民は「私の民」ではなく、あくまでも「あなたの民」でありました。
そのあなたの民を正しく裁き、善と悪を判断するために、「聞き分ける心をお与えください」とソロモンは願ったわけです。
ここで「善と悪を判断する」力とは、神さまから来る、恵みとしての識別力です。わりやすい言い方を使えば、「主の御心を悟らせていただく」ことです。
この求めを主は喜ばれました。別の訳の聖書では、「この願い事は主の御心にかなった」と訳されていましたが、喜ばれた理由は、それが主の御心にかなっていたからです。
あなたは神さまに何を求めますか。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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