御言葉の光に導かれて
「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)
高座教会の担任牧師になった年、私たち夫婦には、高一の娘、中二の息子、中一の娘、小一の息子がいました。上の子どもたちが思春期を迎えようとし始めていた時期でした。
当時、慰めをいただいたのが、E・ピーターソンの『若者は朝露のごとくに』です。
その本の中でピーターソンは、「聖書をよく読んでいくと、意外な真理が明らかになる。それは手本とすべき家族がないということである」と語り、
その後、アダムの家庭から始めノア、イサク、ダビデ、最後にイエスさまの育った家庭にも言及したうえで、次のように結論づけています。
「自分の家族がクリスチャンホームとして期待されている温かさや光に欠けているからといって自分を責め続ける必要はない。
聖書に平和な家庭のモデルが描かれていない以上、目の前にあるもの(それは言い換えるならキリストにある家族、信仰の家族として共に生きる新しい共同体の約束であるが)に心おきなく注意を向けることができる。
共に生きる生活とは家柄によってではなく、神の恵みによって造り出される関係によって成り立っている。私たちは自分が善良だからではなく、赦されているから前進していくことができるのだ。」
その本には、「思春期の子どもは、中年期を迎える親にとっての神さまからの賜物なのだ」ということも書かれていました。
一般に子どもたちが思春期を迎える頃、私たちは、ちょうど「中年クライシス」を迎え、今までの生き方が通用しない人生のステージに進みます。
そこで誰しも一度立ち止まり、今後、どのように生活を進めていくのか、また家庭生活をどう考えていくのかを思い巡らす時を持つのではないかと思います。
その時に、私たちを導くもの、私たちの足元を照らす灯こそが、「御言葉の光」なる聖書の言葉なのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘