引き受けるべき課題
「それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。ハッカやウンコウやあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。」(ルカ11:42)
イスラエルが出エジプトをしてからちょうど1年ほど経った後、約束の地カナンを偵察させるために、各部族からそれぞれの長を出し、モーセは彼らを派遣したのです。
そして、彼らは40日間、約束の地カナンをくまなく偵察し、そして報告しました。ヨシュアとカレブを除く10名の偵察隊は、「行くべきではない」と言いました。
これに対しヨシュアとカレブは、「神さまが約束されているのだから、その地に進んで行こう」と言ったのです。そうした意見の対立がある中、10名の偵察隊が悪い噂を流しました。
その結果、イスラエルの民全体は、約束の地に行くことに反対したのです。つまり、いかないことを選びとりました。
主は「あなたたちが約束の地に行くことを願わないならば、あなたがたの願うようにしましょう」ということで、約束の地に行かずに、その荒野を40年間放浪することをさせ、主は「あなたがたがそれを選んだからだ」と責任を取らせた形になりました。
イエスさまは「私を信じなさい。そして命を得なさい」と言われます。イエスさまの招きに応じて約束の地に行くのか。それとも自らの責任で信じない方を選び、そこに留まるのか。ある意味で、私の永遠にかかわる選択を、実は迫られているということです。
今日の聖句で主イエスは、クリスチャンとしての歩みは、神さまの御前にどれだけ忠実に歩むのか、具体的には、その人が置かれている人間関係で、互いに愛し合い、互いの必要に応え合って生きているのかによって量られることを教えています。
これは、クリスチャンとして召された私たちの生涯を通しての課題です。
今日も、主にあって応答の生活を歩んでいきましょう!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘