イエスを見つめながら
「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ12:2)
今日は高座教会の創立記念日です。74年前の今日、最初の主の日の礼拝が捧げられました。それから今に至るまで数多くの信徒が起こされ、今も祝福された群れとして歩むことができた幸いを感謝します。
高座教会には過去から今に至るまで数多くの信仰の勇者がおられました。そうした方たちはそれぞれに神さまが託した「定められた競走」を走り終え、天に召されています。
そして今、この時代に高座教会で福音のバトンを持って走るように定められているのは、私たちなのです。これは重い責任であるとともに、とても尊く、光栄な務めであると思います。
十字架の前夜主イエスは弟子たちに、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と語りました。
確かに最終的な勝利が約束されていても、私たちには様々な苦難、担うべき責任があることに変わりはありません。
過去にどんなに素晴らしい信仰の先輩がいたとしても、2021年という「今」を私たちに代わって生きてくれるわけにはいかない。私たちにしか担えない務めがあります。
そうした中、今日の聖句は、クリスチャン生活とは、信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめて歩むことだ、と教えます。
それは、私たちに責任がある歩みであると同時に、最終的に主イエスが責任を取り、主イエスが完成してくださる歩みであるからなのです。
つまり、御心を求めつつの歩みであっても、そこには罪の影響、さらに能力の限界や弱さがつきものです。精一杯の行いであっても何かしらの混乱が残ります。でもそこにも必ず摂理の神のご支配があるのです。
私たちはこれからも、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめつつ、定められている競走を辛抱強く走っていきましょう。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘