主イエスに聴いていただく
「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(エフェソ4:29)
ある人がこんなことを言っていました。すれ違いざまに捨て台詞のように、「また太ったね」とか言う人がいるそうです。
〈余計なお世話だ〉と心の中でつぶやきはしますが、口に出して言い返すことができません。そうこうしている内に、相手は通り過ぎて行ってしまいます。
このように「悪い言葉」を口にすることで、言われた方は、嫌な思いが残りますし、場合によっては傷つくことすらあるのです。
「悪い言葉」とは「相手を腐らす言葉」です。人の心を腐らせ、萎えさせる言葉。不信仰な言葉。人を励まさない言葉です。
コロナ禍にあって、ストレスの多い忙しい生活を送っている私たちは、ともするとストレス発散のために、相手を腐らす「悪い言葉」を口にする誘惑はないでしょうか。
聖書は、そうした言葉を「一切口にしてはなりません」と強調します。
むしろその代わりに、神の恵みに気づかせ、ぶどうの木であるキリストにつながるようにと導く言葉、言い換えれば「その人を造り上げるのに役立つ言葉」を語りなさい。
それも、のべつ幕なしではなくて「必要に応じて語りなさい」と勧めています。
ところであなたは「そんなの無理に決まってる。一日、二日は我慢できても、どこかで発散しないと、いつか“倍返し”になって爆発してしまいます」と言われるかもしれません。
ではどうしたらよいでしょうか。「避雷針」となる信仰の友を持つことをお勧めします。その方にあなたの気持ちや積もり積もった思いを聴いてもらうことです。
でも、それ以上にもっと良いことは、主イエスに思いの丈をお話し、受けとめていただくのです。
その結果、あなたの口から次第に「悪い言葉」が消えていくことでしょう。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘