あなたを捜す神がおられる

「言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」(ルカ15:10)

 クリスチャンになる前、「自分なんて、居ても居なくても良い存在だ」と真剣に思い悩んでいたことがあります。
でも、裏を返すと、「自分なんて、居ても居なくても良い存在だ」と悩む私に、「そうではない!」と、しっかりと否定してくれる言葉が欲しかったのだと思うのです。
そんな「自分なんて、居ても居なくても良い存在だ」と言う心の叫びに対し、イエスさまは、これでもか、これでもかと、「そうではない!そんなことない!あなたは、神さまから捜されている、尊い存在なのだ」と訴えておられるのです。
コロナ禍の中、昨年、日本では二万一千人弱もの人々が「自分なんて居なくてもよい」と考え、自ら命を絶っていきました。
そうした中で、「そうではない、あなたは神さまから捜されている存在なんだ」、「あなたを捜しておられる神がいる」というメッセージを知っている者には、大きな責任があるのではないでしょうか。
価値も能力もないのに何で生きなければならないのかと思ったことはありませんか? それに対する聖書の答えは何でしょうか。それは「あなたは神さまに捜されているから」というのが答えです。
自分を顧みる時、〈自分は神さまからほど遠い生活をしている〉と感じることがあるかもしれません。または〈私が居るところなどには神さまなんてやって来てはくれない〉と言われるかもしれません。
実際に洗礼を受けられた後でも、何度も何度も神さまが分らなくなることもあるかもしれません。
でも、そんな時に、ぜひ、あなたを捜し続けておられる神さまがいてくださることを思い出してください。いや、神さまを忘れないでください。
そして、神さまがあなたを見出す時、「神の天使たちの間に喜びがある。」という事実を知って欲しいと思います。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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