共に戦ってくださる主を知る

「生ける神の戦列を嘲笑ったのですから。」(サムエル記上17:36)
 サムエル記上第17章には、少年ダビデとゴリアトとの戦いが記録されています。 この時、サウル王もイスラエルの軍勢も、全ての人々が巨人ゴリアトに恐れおののいていました。ところが、全く同じ場面に立たされていたダビデは、この状況を違った視点で見ていました。 私たちは問題にぶつかると、その問題自体に目が行きます。サタンは神さまからあなたの目をそらさせ、直面している問題を過大視させるという手口をよく用いるのです。 ここでダビデはゴリアト自身(問題自体)に思いを集中する代わりに、神さまの視点から、この問題と対処して行きました。 確かにゴリアトは巨人でした。それに対してダビデ自身はちっぽけな存在です。でもゴリアトの大きさ、自分自身の小ささに思いをつなぎ留め、心配や不安で一杯一杯にする代わりに、ダビデは、神さまがおられる現実の中に、この問題を位置づけ対処して行きました。 ダビデは「生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は何者ですか」(新共同訳)と言って、困難にぶつかったときに、神さまの視点でその物事を見、神さまのご支配という枠組みの中で、その不都合な出来事を見ていったのです。その枠組みとは、この問題をも益としてくださる神さまが共に戦ってくださる、というものです。 さらに彼は「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいない」と告白しました。  信仰の戦いにとって大切なことは、《共に戦ってくださる主を知る》ということ。主が共におられることを忘れないということを、そして、その主を知れば知るほど、そのお方を信頼して信仰の戦いを戦えるということを覚えたいと思います。 今日も、主があなたと共に戦ってくださいます。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘 発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1

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