主の囚人

「ですから、主の囚人である私は、あなたがたに勧めます。招かれたあなたがたは、その招きにふさわしく歩み、」(エフェソ4:1)
 パウロは、自らを「主の囚人」と呼びます。実際、この手紙を書いていた時の彼は、ローマで幽閉生活を強いられていました。でも、それ以上に彼は、自らが主の愛に捕らえられた者、そのような意味で「主の囚人」なのだ、と証ししています。 パウロによれば、主の弟子とは、「キリストの愛に捕らえられていた者」という事です。この時のパウロは、獄中という環境で生活をしていましたが、そうした環境の犠牲者ではなく、むしろ、本当の意味で彼を取り巻く第1義的環境は「キリストの愛」でした。 もしかしたらあなたは、今、病気と闘い、まさしくその肉体が牢獄であるかもしれません。自分の性格や気性に自信の持てない方もあるかもしれません。 あるいは、〈何で、こんな私なのだろう〉と悩み、捕らわれている方もあるかもしれません。会社や組織の中で、何か自分が認められていないように感じて生きておられるかもしれません。 手紙を書いていたパウロも、現実には狭い家に幽閉されていました。でも、そうした中で彼は喜ぶことが出来たのです。それは、ローマ帝国の囚人である以前に、キリストの愛に捕らえられた神の子である自分に気がついていたからです。 パウロは肉体にとげがあり、それが抜き去られるようにと真剣に祈るような病を抱える人でもありました。でも病人であること以前に、キリストの広大無辺の愛の中、無尽蔵の愛の中に自らを見出していたのです。 彼は同じ手紙の中で「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものかを悟り、」と祈っていますが、まさに彼自身が、四方八方取り囲まれているキリストの愛にドップリとつかりながら生きていたのです。そして今日のあなたも、同じです!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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