イエスは誰か

「『この方は罪を犯さず/その口には偽りがなかった。』罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のもとへ立ち帰ったのです。」(1ペトロ2:22―25)
 今日の聖句は、三年にわたり寝食を共にした主の弟子の一人、ペトロの証言です。彼はイエスさまのうちに一つの嘘も見いだす事ができなかった、ということでしょう。つまり、言行が一致していた、と証言しているのです。 洗礼を受ける前、こんなことを思いました。〈イエスというこの人物は、確かに素晴らしい。でも、この人は単に素晴らしいだけではなくて、自分のことを「救い主」、また「神」と信じるように、そして従うようにと招いている。そして「永遠の命」を受けるようにと迫ってくる。しかも、十字架はそのためだったと主張する。そして実際に十字架にかかれた…。〉 さらにこんなことも考えました。〈イエスという人物が、「キリスト(救い主)」でないとすれば、彼は「気がふれている」か「大嘘つき」かのどちらかになる。聖書とその後の弟子たちの歩みからしても、イエスが単なる嘘つきとは考えにくい…。〉 福音書を見ると、ある時点で弟子たちに向かって主イエスは、「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」と真剣に問われたことが記されています。これに対して、今日の聖句を書いたペトロが仲間の弟子たちを代表して答えました。「あなたこそ、神からのメシアです。」 そして、その告白の通りに生きたのが後のペトロや他の弟子たちでした。私たちも彼らに続く者たちです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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