今を堂々と生きる
「私が切に願い、望んでいるのは、どんなことがあっても恥じることなく、これまでのように今も堂々と語って、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが崇められることです。」 (フィリピの信徒への手紙1章20節)
いつ死ぬのか分からない、それが人生ですよね。 僧侶、一休さんは「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句を詠みました。新しい年を迎えるということは、死に一歩近づくということ。正月の何がめでたいものかということだそうです。 新約聖書に出てくる、使徒パウロにとって、この世は決して楽しいことだけではありませんでした。自分が人を苦しめてきたことへの後悔と、自分のことを信じてもらえない苦しみがありました。むしろ「死」には、生きる事の苦しみから解放される安らぎがあると思えました。天国という新天地には、神の愛が満ちています。一方で、この世で生きていれば悩みと共に喜びもある。天においても、地上においても、どちらにおいても「めでたくもあり めでたくもなし」です。 パウロは、死ぬことと生きることを考えるよりも、「今を堂々と生きる」と語りました。別の翻訳は「大胆に生きる」とありました。パウロは、自分の生き様によってキリストが崇められるように生き抜いたのです。失敗しようが、非難されようが、どんなことがあっても、キリストに在りて今日という日を堂々と生きる。そうであれば恥じることはありません。
《祈り》主よ、天においても地上においても、あなたの恵みと慈しみは変わりません。しかし、地上でできることは地上にいる時しかできません。今日という一日が、私の身によってキリストが崇められますように、御心のままに生かしてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1
いつ死ぬのか分からない、それが人生ですよね。 僧侶、一休さんは「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句を詠みました。新しい年を迎えるということは、死に一歩近づくということ。正月の何がめでたいものかということだそうです。 新約聖書に出てくる、使徒パウロにとって、この世は決して楽しいことだけではありませんでした。自分が人を苦しめてきたことへの後悔と、自分のことを信じてもらえない苦しみがありました。むしろ「死」には、生きる事の苦しみから解放される安らぎがあると思えました。天国という新天地には、神の愛が満ちています。一方で、この世で生きていれば悩みと共に喜びもある。天においても、地上においても、どちらにおいても「めでたくもあり めでたくもなし」です。 パウロは、死ぬことと生きることを考えるよりも、「今を堂々と生きる」と語りました。別の翻訳は「大胆に生きる」とありました。パウロは、自分の生き様によってキリストが崇められるように生き抜いたのです。失敗しようが、非難されようが、どんなことがあっても、キリストに在りて今日という日を堂々と生きる。そうであれば恥じることはありません。
《祈り》主よ、天においても地上においても、あなたの恵みと慈しみは変わりません。しかし、地上でできることは地上にいる時しかできません。今日という一日が、私の身によってキリストが崇められますように、御心のままに生かしてください。
牧師 和田一郎
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