自分を肯定するには

「もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる。 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」 (マタイによる福音書6章14-15節)
 人それぞれの生き方を認めることは、自分を肯定することです。 イエスさまは、祈ることの大切さを教えてくださいました。しかし、ある条件をつけています。それは、人を赦してから祈るということです。自分がある人を赦さない気持ちを持っていながら、神さまに祈って何かを願うということは、矛盾したことです。 もちろん、誰にでも赦せないことはあります。しかし、私たちは赦されています。神さまに赦されています。赦されているのだから「赦そう」。認められているのだから「認めよう」。赦しの連鎖はやがて自分に巡ってくるのです。人それぞれを認めることが連鎖となって、やがて自分が自分を肯定できる道がひらけるのですね。赦しの連鎖のスターターは神さまです。まず、神さまが先立って赦してくださいました。そして、私たちも生活の場において、赦しのスターター、人を認めるスターターになれます。そのように求められているのです、神さまに。それが、あなたが自分を肯定できる道だと、神さまが見守っているのです。
《祈り》主よ、人を赦せない私を赦してください。何とかしてください。こんな私は赦されるのでしょうか・・・?「私のもとに来なさい」と言われるあなたのもとで、私は私でいられます。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1