ただなものはただなのです

「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」 (マタイによる福音書10章8節)
 気前よく生きよう。神は気前のいい方ですから。 「ただで」というのは無料です。お金が全くかからないということです。日本には「ただほど高いものはない」という言葉があります。無料でものをくれるというのは何か裏があって、後になると高くつくものだという意識が表れています。しかし、神さまには裏表というものがないので、ただなものはただなのです。無料であるものは無料なのです。つまり、神はとても気前のいい方なのです。悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる方ですから。  そして、神はひとり子イエス・キリストを惜しみなく与えてくださったのです。だれがこれほどの恵みに値していたのでしょうか。そうです。わたしたちはただで受けたのです。私たちのこの命は、自分で獲得したのでしょうか? 私たちの人生には、すでに恵みがあったのではありませんか? 私たちはこの命と恵みを無償で頂いたのですから、こんどは私たちが、無償で差し出さなければなりません。それは「ただ」です。お礼や称賛を求めない。見返りや報いを求めないのです。 「あなたの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。受けたのなら、どうして、受けなかったかのように誇るのですか。」(1コリント4:7)。
《祈り》神さま、あなたは感謝されようが、恩知らずな態度をとられようが、私たちに与え続けてくださいます。あなたは気前のよいお方です。この私が、いつも、自然に、当たり前のように与え続ける者となれますように。私を送り出してください。
牧師 和田一郎
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