みんなで戦う

「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。私たちは、体の中でつまらないと思える部分にかえって尊さを見いだします。実は、格好の悪い部分が、かえって格好の良い姿をしているのです。」 (コリントの信徒への手紙一12章22-23節)
 「うちは全員出る。みんなで戦うんだ」と監督は言った・・・。 ある野球チームはエースで4番を打つイワオ君が主軸のチームです。そこに新しくヨシイエ監督が就任しました。監督の方針は全員野球です。部員18人全員が試合に出て戦うというのです。キャプテンはレギュラーだけなら必ず勝てるが、ベンチにいる下手くそな9人、とくにキャッチボールも難しいマルオ君まで出したら勝てないと思いました。それまでの練習はレギュラーの9人が中心でしたが、ベンチの9人も練習に加わると戦力の差は歴然、マルオ君はチーム最大のウィークポイントでした。ある日からマルオ君は練習に来なくなりました。自分がいない方が試合に勝てると思ったからです。ところがヨシイエ監督は「マルオもチームの一人じゃないのか? 18番目の弱い選手が去ったら、次は17番目の者が去る。それは全員でやることとは違うだろう」と言ったのです。実はマルオ君が来なくなってから、17番目の選手の欠点が、目立つようになっていたのです。ある選手が言いました。「マルオは足が速いんじゃない?バントを教えれば、俊足を生かせるよ。」キャプテンはマルオ君の家に行って「監督はチーム全員で勝つと言っている。お前がいないと全員にならない。チームに戻ってくれ」と彼をチームに呼び戻しました。マルオ君にバントや走塁を教えると彼の動きが輝き出し、チームは変わり始めました。選手同士で教え合うようになり、お互いの長所を見つけるようになったのです。チームの結束力、全体の戦力は格段に増していきました。一番下手くそだと思っていたマルオ君の存在を通してチームが強くなっていったのです。 使徒パウロは、第一コリント12章で教会の在るべき姿を教えています。今の時代、教会だけではなく、どのような組織であっても、一人ひとりの違った個性を尊重して弱く見える部分がかえって大切だという発想が必要なのではないでしょうか。 「神は劣っている部分をかえって尊いものとし、体を一つにまとめ上げてくださいました」(1コリント12:24)。
《祈り》神さま、あなたは大国エジプトやバビロンではなく、ローマ帝国でもなく、そのはざまで翻弄されていた、イスラエルという小さくて弱い部族に目を留めました。主の恵みと慈しみは、弱さの中で発揮されます。私も隣人の弱さを誇ることができますように。
牧師 和田一郎
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