感謝の言葉なき感謝

「私は、自分の置かれた境遇に満足することを学びました。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹することにも、飢えることにも、有り余ることにも、乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です。」 (フィリピの信徒への手紙4章11-13節)
 今日、出会った人に「おかげさまで」と挨拶をしたい。  私がかつて会社勤めをしていた時、毎月大阪に出張があった。大阪商人の気質を肌で感じて仕事をしていた。「儲かりまっか」「まあ、ぼちぼちやな~」と挨拶するのが大阪商人の気質だとよくいわれる。しかし、昔の大阪商人は「儲かりまっか」と言われて「おかげさんで」と答えるのが挨拶だったという。誰の「お陰」と言っているのだろう? 大阪のメインストリートの御堂筋(みどうすじ)は、昔お寺のお御堂があった道で、御堂の鐘の音が聞こえるところで商売をしたいという信仰心から商人たちが集まってきて、大阪の経済を支える町になったそうだ。神仏にたいする畏敬の念が大阪商人の中にあったのだと思う。しかし、今では神仏にも人に対しても、「おかげさまで」という感謝の心よりも「まあ、ぼちぼちやな~」という時代だ。  使徒パウロは、極度の貧困生活の中にいた。そこにフィリピの信徒から支援が届いたので、この手紙で感謝を述べているのです。しかし、感謝らしい言葉が見当たりません。どんな状況になっても対処する秘訣と、自分の置かれた境遇に満足することを学んだのだと言うのです。それでもこの文章にはパウロの感謝の心が表れています。何があっても、私を強めてくださるのは主なる神さまだから、私にはすべてが可能ですと、告白するのです。パウロの感謝の言葉なき感謝が溢れる手紙なのです。神さまの恵みは「ぼちぼち」どころか、必要十分であることを言葉にして、今日という日を歩んでいきましょう。
《祈り》今日を取り巻くあらゆることは、神さま、あなたのお陰です。乏しさも豊かさも、それは今の私にとって必要なことです。あなたのお陰です。
牧師 和田一郎
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