自分のふがいなさと折り合いをつけて生きよう

「召し使いの女が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った。そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した。」 (マタイによる福音書26章71−72節)
私はある時友人とキャンプに行った。友人はキャンプに行ったことがないので、私が誘ったのだ。お気に入りのシュラフ、愛用のバーナー、こだわりの逸品の鍋、次々と説明しながらセッティングしていくと友人は目を輝かす。しばらくして友人が言った、「ところでテントはどこですか?」。探しても見つからない。キャンプにテントを忘れてしまったのだ。それでも天気のいい日だったので、シートの上でシュラフにもぐり込んで寝ることにした。友人曰く「これってキャンプというより野宿ですよね」。その通りだ。しかしそれもアウトドアの醍醐味だ・・・と思ってもらえるようにあれこれ頑張って挽回に励んだ。彼の初キャンプはふがいない相棒のために珍道中になってしまったが寛容な彼のおかげで楽しい思い出になった。 弟子のペトロは、イエスさまに叱られたり、ふがいない言動を繰り返したりする人間味あふれる人物です。最後の晩餐で「あなたのためなら命も捨てます」と宣言したにもかかわらず、イエスさまが捕らえられると、予告された通り鶏が鳴くまでに3度もイエスさまを「知らない」と否認してしまいました。しかし、十字架で死んだ後に復活されたイエスさまは、湖で漁をしていたペトロに現れてくださいました。数日前に3度「知らない」と言ったペトロに、イエスは3度「私を愛するか」と問いかけられ、「私の羊を飼いなさい」とペトロに赦しと使命をお与えになりました。自分のふがいなさから解放されたペトロは、聖霊の力を受けて他の弟子たちとともに劇的に変えられていきます。同じ使徒であるパウロから叱責を受けるところは、それまでのペトロらしさが残っているのですが、そんな自分のふがいなさとも折り合いをつけながら、世界に福音を広げていったのです。
《祈り》主よ、あなたはその人の欠点と、良き賜物を相殺してしまうようなことをなさいません。良き賜物は良いものとして、欠点は赦しと必要なものとして受け入れてくださいます。この自分の欠点と折り合いをつけて生きていけますように。
牧師 和田一郎

発行者名:高座教会