人はすべて罪人
「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 (ヨハネによる福音書8章7節)
キリスト教会では人間の「罪」の話をよくします。しかし、ふつうの人は「別に殺人や盗みなど、法に触れるような罪は犯していないけど・・・」と思うものです。しかし、教会で話される「罪」の本質とは「神に背をむけること」です。人間が作った法が基準ではありません。人間を造った神さまが基準です。ですから人間の「罪」を定めたり赦したりできるのは神さまだけなのですね。つまり、人間が生きていくこの世の秩序を守る為には、法律を守り、迷惑をかけた人に謝ることは重要ですが、さらにその奥にある本質的な意味においては、人が人の罪を定めることはできないですし、罪を赦すこともできません。教会は毎週日曜日の礼拝で、本質的な「罪」を神さまの前で明らかにする場所です。 あるところに、法の番人のようにふるまう律法学者たちが、わざわざ「姦淫」をしている女を現行犯で捕まえてイエスさまの前に連れて来ました。当時の律法では石打ちで死刑です。「さあ、あなたはどうお考えになりますか」イエスさまに迫ったのです。石打ちの刑にするのか、それとも赦すのか。 「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 女の周りに群がっていた人々は、そこにはいられなくなりました。女一人が残りました。 「『女よ・・・誰もあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、誰も』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。』」 自分の不完全さを、神さまの前に明らかにして一人立つ時、イエスさまは必ず赦してくださいます。その赦しとは生半可な「許し」ではありません。ご自分の命をもって、悔い改める人びとの罪の身代わりとなって、十字架に架かられた大いなる「赦し」です。
《祈り》神さま、私たちは毎週の礼拝のはじめに「罪の告白」をします。そのたびに「あなたを罪に定めない。」と愛をもって私たちに迫ってくださいます。人はすべて罪人です。そして罪をくりかえしてしまいます。この不完全な私を愛してくださり感謝します。
牧師 和田一郎
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
キリスト教会では人間の「罪」の話をよくします。しかし、ふつうの人は「別に殺人や盗みなど、法に触れるような罪は犯していないけど・・・」と思うものです。しかし、教会で話される「罪」の本質とは「神に背をむけること」です。人間が作った法が基準ではありません。人間を造った神さまが基準です。ですから人間の「罪」を定めたり赦したりできるのは神さまだけなのですね。つまり、人間が生きていくこの世の秩序を守る為には、法律を守り、迷惑をかけた人に謝ることは重要ですが、さらにその奥にある本質的な意味においては、人が人の罪を定めることはできないですし、罪を赦すこともできません。教会は毎週日曜日の礼拝で、本質的な「罪」を神さまの前で明らかにする場所です。 あるところに、法の番人のようにふるまう律法学者たちが、わざわざ「姦淫」をしている女を現行犯で捕まえてイエスさまの前に連れて来ました。当時の律法では石打ちで死刑です。「さあ、あなたはどうお考えになりますか」イエスさまに迫ったのです。石打ちの刑にするのか、それとも赦すのか。 「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 女の周りに群がっていた人々は、そこにはいられなくなりました。女一人が残りました。 「『女よ・・・誰もあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、誰も』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。』」 自分の不完全さを、神さまの前に明らかにして一人立つ時、イエスさまは必ず赦してくださいます。その赦しとは生半可な「許し」ではありません。ご自分の命をもって、悔い改める人びとの罪の身代わりとなって、十字架に架かられた大いなる「赦し」です。
《祈り》神さま、私たちは毎週の礼拝のはじめに「罪の告白」をします。そのたびに「あなたを罪に定めない。」と愛をもって私たちに迫ってくださいます。人はすべて罪人です。そして罪をくりかえしてしまいます。この不完全な私を愛してくださり感謝します。
牧師 和田一郎
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/

