求めて生きる

「主はイスラエルの家にこう言われる。私を求めよ、そして生きよ。」 (アモス書5章4節)
 かつて北アルプスの北穂高岳に登った時、ナイフリッジの尾根がある大キレットを通って山頂をめざした。手と足の三点確保を守りながら集中して「飛騨泣き」という難所を通る。その名の由来は飛騨側に落ちたらまず助からないと・・・。山頂が近くなると標高は3千を超えてくる、緊張して周りを見る余裕がなかったけど視線を上げると何か動くものがあった。岩の陰から現れたのはライチョウの可愛らしい親子。「お前たちこんな所で生きているのか?すごいなぁ」。もっと穏やかな場所がいくらでもあるだろうに。ゴツゴツした岩稜の切り立った尾根、突風だって半端じゃない。でも、ライチョウの親子はただ普通に生きていた。ただ生きているだけで励まされた。そう、教会にもいろんな人がいる。人間も生きてるだけで大変だと思う。一生に誇るべきことがなくても恥じることはない。「生きること」それだけでも大変だ。どんな人生であってもそれなりに必死になって一生懸命生きているに違いないのだから。  預言者アモスは、国が弱い人々をないがしろにして、貧しい人たちが戦争にかりだされて命を落とすことを嘆きました。神の「義」と「公正」を捨てるなと為政者に呼びかけました。神は助けを必要とする隣人に対して、愛の手を差し伸べるように呼びかけているのだと。そして、「私を求めよ、そして生きよ。」と。人は弱いのですから、自分の力に頼らず、神を求めてこそ、人は人らしく生きていけるのです。
《祈り》主よ、求めます、私の傲慢さを砕き、委ねる謙遜さを与えてください。主よ、求めます、私の愚痴を閉ざし、歩みよる優しさを与えてください。主よ、求めます、私のやるせない思い受け取り、慈しみと憐みをもって生きる喜びを与えてくださいますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/