結婚の秘儀
「『こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。』この秘義は偉大です。私は、キリストと教会とを指して言っているのです。」 (エフェソの信徒への手紙5章31-32節)
作家サン・テグジュペリは「愛とはお互いを見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることです」といいました。個性の違う二人がお互いの個性をリスペクトしながら生きていこうとしても、お互いが向き合うと衝突も生まれます。だからこそ並んで同じ方向を見ながら生きるという夫婦の在り方は大切ですね。では同じ方向とは何か?というと、それは聖書にヒントがあると思います。聖書では、「男は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2:24)という結婚の真意を表す言葉がありますが、使徒パウロは結婚には「秘儀」が隠されていたと言うのです。それを結婚した男性と女性に対して教えています。「教会」が「キリスト」に従うように、妻は夫に従いなさい。そして、「キリスト」が「教会」を愛したように夫は妻を愛しなさいと。そして、「この秘義は偉大です。私は、キリストと教会とを指して言っているのです。」と、結婚に隠された神さまの意思を伝えているのです。 つまり、「秘儀」とは結婚そのものではなくて、夫が妻にすべきこと、妻が夫にすべきことは、そもそもイエスさまが、教会(私たち)との絆を作るためにしてくださったのだ、というメッセージなのです。それはイエスさまが十字架で負ってくださった犠牲のことです。イエスさまは人間のために自分自身の命を差し出してくださいました。すすんで十字架に架かり私たちのために犠牲を負って、私たちと新しい関係を造り、私たちがキリストに似た者になる道を開いてくださいました。絆を作るために痛みや苦しみを担ってくださったキリストを共に見ながら夫婦生活を生きていく。夫婦はキリストにならって夫は妻に、妻は夫に仕えるという生き方を担うのです。イエスさまが十字架に向かって行かれた思いを私たちも携えて、十字架を見つめながら歩むというのが結婚生活を生きるための鍵なのです。パートナーが信仰をもっていない場合も同じで、信仰者は相手に向き合うことができない時でも、十字架に目を向けて歩み続けていきたいものです。
《祈り》主よ、人生は山あり谷ありある中で、友人知人と難しいことがあるように、人生のパートナーとも向き合えないこともあります。しかし、どんな時でも十字架を見上げて、主イエスが私のために負ってくださった犠牲を知る時、私は幸いだと思えるのです。感謝いたします。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
作家サン・テグジュペリは「愛とはお互いを見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることです」といいました。個性の違う二人がお互いの個性をリスペクトしながら生きていこうとしても、お互いが向き合うと衝突も生まれます。だからこそ並んで同じ方向を見ながら生きるという夫婦の在り方は大切ですね。では同じ方向とは何か?というと、それは聖書にヒントがあると思います。聖書では、「男は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2:24)という結婚の真意を表す言葉がありますが、使徒パウロは結婚には「秘儀」が隠されていたと言うのです。それを結婚した男性と女性に対して教えています。「教会」が「キリスト」に従うように、妻は夫に従いなさい。そして、「キリスト」が「教会」を愛したように夫は妻を愛しなさいと。そして、「この秘義は偉大です。私は、キリストと教会とを指して言っているのです。」と、結婚に隠された神さまの意思を伝えているのです。 つまり、「秘儀」とは結婚そのものではなくて、夫が妻にすべきこと、妻が夫にすべきことは、そもそもイエスさまが、教会(私たち)との絆を作るためにしてくださったのだ、というメッセージなのです。それはイエスさまが十字架で負ってくださった犠牲のことです。イエスさまは人間のために自分自身の命を差し出してくださいました。すすんで十字架に架かり私たちのために犠牲を負って、私たちと新しい関係を造り、私たちがキリストに似た者になる道を開いてくださいました。絆を作るために痛みや苦しみを担ってくださったキリストを共に見ながら夫婦生活を生きていく。夫婦はキリストにならって夫は妻に、妻は夫に仕えるという生き方を担うのです。イエスさまが十字架に向かって行かれた思いを私たちも携えて、十字架を見つめながら歩むというのが結婚生活を生きるための鍵なのです。パートナーが信仰をもっていない場合も同じで、信仰者は相手に向き合うことができない時でも、十字架に目を向けて歩み続けていきたいものです。
《祈り》主よ、人生は山あり谷ありある中で、友人知人と難しいことがあるように、人生のパートナーとも向き合えないこともあります。しかし、どんな時でも十字架を見上げて、主イエスが私のために負ってくださった犠牲を知る時、私は幸いだと思えるのです。感謝いたします。
牧師 和田一郎
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