謝罪ではなく愛を

「互いに耐え忍び、不満を抱くことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。さらに、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯です。」 (コロサイの信徒への手紙3章13-14節)
 数年前に、アメリカのオバマ大統領が広島を訪問し「核のない世界をめざさなければならない」と語りました。慰霊碑に向かってオバマ大統領と日本の首相の二人が並び、首相は深々と頭を下げましたが、大統領はじっと慰霊碑を見つめた後、目を閉じて静かに黙祷したのです。その後、被爆者の一人に歩み寄って言葉を交わすと、大統領は相手の肩を抱きよせハグをして愛情を表しました。結局、原爆を落とした国の大統領として謝罪はしませんでした。さまざまな事情があってか謝罪は出来ませんでした。しかし、愛情を示すことはできたのです。寄り添って抱き締める行為の中で、自分らしい愛情を表現したのだと思います。 傷つけあった相手と関係を修復するのは難しいことです。夫婦でも友人でも国家でも同じです。ある人は「問題は仲たがいではない。それを修復しないことが問題である」といいます。その修復への一歩は「謝罪」なのかも知れませんが、謝罪しても受入れられなかったら傷つくし、自分のプライドも守りたい。謝罪できない事情がそれぞれにあるものです。そこで使徒パウロは「愛を着けなさい」と勧めます。愛はすべてを完全に結ぶ帯だと言うのです。神さまは私たち人間の罪を赦してくださいました。赦されたのですから、同じように相手を赦し、愛されたのだから愛を示す。謝罪は難しくても愛を示す手段はきっとあります。相手に届く「愛のかたち」を考えていきたいのです。
《祈り》主よ、私はあることが赦せません。ある人を赦すことができません。自分でもどうしていいのか分からないのです。あの人の罪も、この私の罪も、取り扱うことができるのは神さま、あなただけです。
牧師 和田一郎
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