隣国との豚に真珠

「真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」(新共同訳聖書) (マタイによる福音書7章6節)
 先週も「豚に真珠」の話をしました。これは一般的に「値打ちがわからない者には価値のあるものを与えても意味がない無駄である」という意味で使われますが、聖書での本来の意味は「人を裁いてはならない」という教えです。豚は真珠を口に入れても消化できないように、人は裁かれ非難された事を消化して受け入れることはできない。正しい理由があったとしても相手の考えを変えることはない、逆効果だと戒めているのです。 関田寛雄牧師は、川崎市で在日コリアンの差別解消に尽力されました。その先生の講演会で、世界中から裁きの目を向けられている北朝鮮のことを話されました。日本は北朝鮮に対して裁きの目で見てきた、実際に制裁を加えて裁いてきたわけです。拉致事件という事実があったわけですから、裁かれても当然という根拠がいくらでもあるわけです。でも関田先生がおっしゃっていたのは、金正日(きむじょんいる、金正恩の父)が死んだ時、以前、北朝鮮を二度も訪問した小泉元首相が弔問に行けばよかった、和解する最大のチャンスだったと話していました。実際それがどういう結果になったかは分かりませんが、以前アメリカが直接に強硬制裁を加えたアフガニスタンやイラクは根本的な解決に至っていません。その時はスッキリ解決したような気がしましたし、当時の政府の支持率を上げることには成功しました。しかし、平和を構築することはできませんでした。 裁くより、祈って共感して寄り添うことを教えていたイエスさまの教えは、時間がかかる解決方法です。現代のように早く結果を求める政治のシステムでは難しいのかもしれません。しかし、イエスさまの教えに生きるキリスト者としては、結果を問うのではなく、どうあるべきかを問う者でありたいのです。
《祈り》神さま、私は毎日のように自分の正しさを人にも当てはめて人を裁いています。昨日、裁いてしまった人のために、今日は祈ることができますように。
牧師 和田一郎
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