アブラハムの祈り

「私たちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せない呻きをもって執り成してくださるからです。」 (ローマの信徒への手紙8章26節)
 ある日、神さまはアブラハムに話しかけました「ソドムとゴモラに住む人々は、罪深いことをしているから町を滅ぼそうと思っている」と。しかし、その町にはアブラハムの甥のロトと家族が住んでいたのです。そこでアブラハムは神さまに祈り求めました。それも大胆に祈ったのです。「神さまあなたは、その町に良い人がいるのに、悪い人と一緒に滅ぼそうとするのですか?」と。そこで「もしその町に50人の正しい人がいたとしても滅ぼされるのですか?」、神は「では50人のために赦そう」。「いや、もしかしたら正しい人は45人かもしれません」、神は「45人でも赦そう」と。「神さま、もしかしたら40人かもしれません、いや30人かもしれません」、神は「40人でも30人でも赦そう」。「ちょっと待ってください、あの町には20人、いや10人しか正しい者はいないかもしれません」、神は「その10人のために滅ぼしはしない」と言ってくださいました。アブラハムの祈りは率直で熱心でした。さらに自分のことを「塵や灰にすぎない私ですが」(27節)と謙遜な態度で祈ったのです。祈りは思いのままを、率直に、熱心に伝えることができます。アブラハムは明らかに、自分が神に祈ることで、神様に聞き入れられると本気で信じていました。結局、正しい人は10人さえいなかったので町は滅ぼされましたが、甥のロトの家族は助け出されました。つまり、アブラハムの思い通り「町を滅ぼさない」という結果ではなく、悪に満ちた町は滅ぼされ、ロト家族は救い出されたのです。アブラハムは必死で祈りましたが、アブラハムの考えた最善ではなく、神さまから見た最善というかたちで、祈りは叶えられたのです。祈りが叶えられるということは、自分の思い通りになることではなく、神さまの御心が現れるということです。
《祈り》主よ、助けてください。この差し迫った苦しみを見てください。それをどのように祈っていいのか分かりません。しかし、全能の神よ、あなたははかり知れない知恵をもって私の祈りを叶えてくださいます。最善を知り、それを成してくださるあなたの御力に信頼します。
牧師 和田一郎
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