教会に行く理由

「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」 (ルカによる福音書5章32節)
 ある人が、はじめて教会に行った時の話をしてくれました。その人は、自分がどうしょうもなく悪い性質をもっていて、いっそお坊さんになろうとしたのですが、近くに教会があることを思い出して、ひとまず教会にと思い、出かけて行ったそうです。教会に行くと聞かれたそうです。「どうして教会に来られたのですか?」と。そして「自分には悪い性質があるが、教会の人は優しそうで、まじめな人がいるから来ました」と言いましたら、「教会には正しい人はいません」と言われて「えっ」と思いました。さらに「教会に来ている人はみんな自分が罪人だと思っている人です」と言われ、それがどういう意味なのか興味をもったのがきっかけで教会に通い始めたそうです。  イエスさまは収税所の前を通ると「罪人」と呼ばれている取税人を見かけました。当時のユダヤの取税人は、敵国ローマの手先となって税金を取り立てる仕事をしていたのです。その取税人の一人レビ(後のマタイ)が収税所に座っていました。彼は通行税を取るために人々を監視していたのです。イエスさまは彼にいきなり声をかけます。「私に従いなさい」と。ただ一方的にイエスさまのほうから招いて下さったのです。レビは喜んで、イエスさまを家にお迎えし大きな宴会を催しました。これまでは自分が主人で、自分の喜びのための宴会を催してきた彼が、人生の本当の主人と出会い、この方に従っていくことに喜びを見出したのです。イエスさまとの出会いによって、それまでの罪と、罪がもたらす孤独から抜け出して新しい歩みが始まり、人生に意味が与えられました。さらにレビは自分と同じように、「あんな罪人の仲間にはなりたくない」と言われて軽蔑されていた、他の人々たちも招いて、イエスさまと出会わせようとしました。 私たちも、イエスさまが、「わたしに従ってきなさい」と招いて下さっている「罪人」の一人です。罪を犯したから罪人なのではありません。罪人だから罪を犯してしまうのです。ですから「罪人」だと自覚の思いが湧いたならば、是非、教会にいきましょう。罪人を招いてくださる方と出会えます。そして人生の意味を見つけることができるでしょう。
《祈り》主よ、正しい者はいません。人は罪の性質を抱えて「罪人」として生まれてきます。イエスさまはその罪人のために来てくださいました。この罪は自分たち人間には、どうすることもできないからです。一人でも多くの罪人たちが、イエスさまの呼びかけに応えることができますように。
牧師 和田一郎
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