大切なものは残っていく

「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 (ヨハネによる福音書12章24節)
 津田梅子の肖像が新五千円札に使われました。彼女は日本の女子高等教育の発展に尽くしたキリスト者です。明治四年アメリカに派遣された岩倉使節団の中に五人の女子留学生がいましたが、その最年少6歳だった津田梅子は、自分から父に願い出て親元を離れて未知の国へ旅立ちました。梅子は熱心なクリスチャンであったランマン夫妻の家庭に受け入れられ、毎週日曜学校に通い始め8歳の時に「洗礼を受けたい」と願い出ました。牧師は彼女の受け答えと信仰理解がしっかりしているので幼児洗礼ではなく、成人洗礼を授けたのです。17歳で留学生活を終え帰国しますが、24歳で高等教育の勉強のために再度アメリカで学び、明治33年に教授の地位を捨てて「女子英学塾」という私立女学校を開校したのが29歳の時でした。「真の教育は、生徒の個性に従って別々の取扱いをしなければなりません。」という一人ひとりの個性を育むキリスト教世界観に沿った教育で、やがてこの「女子英学塾」が津田塾大学となっていきます。彼女の精神は教育界にとどまらず政治、文筆、学問、ジャーナリズムなど多方面で活躍する人材を輩出しました。梅子は過労がたたって晩年は病気に悩まされますが、病床で「この永遠の世界の中で、自分や私の仕事がどんなに小さいものか・・・一粒の種は地に落ち、新たな草木が生える・・・私も塾もそうなのか」と聖書の一節から、この言葉を残しました。  一粒の種は粒のままだと粒のままです、地に落ちると種としての形状は無くなりますが、殻が破れて新しい芽がでます。イエスさまは、種が死んで新たな命が誕生することを「地に落ちて死ぬ」と表現されました。つまり、死んで復活することを示唆しています。多くの実を結ぶために、イエスさまは死を受け復活し多くの人々の救いと喜びとなりました。津田梅子の生涯の働きには限りがありますが、その意思は引き継がれ、また新しい芽となって引き継がれていきました。その殻から抜け出た新しい芽は、きっと新たな世界を切り開いていくでしょう。
《祈り》主よ、私は自分の殻を破ることができません。それでも私が今、神さまのために大切にしていることが、自分の知らないところで、かたちをかえて残っていくのであれば幸いです。どうかこの一粒の麦が用いられますように。
牧師 和田一郎
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