ミミズと命

「主はイスラエルの家にこう言われる。私を求めよ、そして生きよ。」 (アモス書5章4節)
 街の公園に石段がありました。ある人が毎日公園の掃除をします。夏になると悲しいことに出会います。石段の上にミミズが干からびて死んでいるのです。多い時は4、5匹死んでいます。「おい、お前たちはどうしたんだ、どうしてこうも毎日死んでいるんだ。誰か教えてくれないのか。この熱い石段の上に行くと体が乾いて身動きができないようになってしまうんだ。どうして同じ事を毎日くり返すんだ」と心で呼びかけます。石段の右側が草むらになっています。そこのミミズが出てくるのですが反対側には何もありません。暑い日に出るのは自殺行為なのです。それを経験の中で教えてくれる仲間はいないのか?干からびたミミズを掃き寄せるとき、どうしようもない悲しみに包まれます。ある時、元気なミミズが出てきました。「おい、こっちにきても何もないぞ、命を縮めるだけだ。 早く帰れ、そらそら」と草むらに追いやりながら 「みんなに教えてやれよ。暑い日に石段に出るなよ。そう言うてやれ」と呼びかけました。でも相変わらず同じ事をくり返しています。ふと思いました。「人間も同じ事をくり返しているんやないやろか。これほど神様から命の話をいただききながら。お互いに助け合う言葉をいただききながら・・・ミミズよ、ごめんね。お前すら助けられない・・・いや、自分すら助けられない私だよ。」 毎日地震、津波、戦争、事故、堕胎、いじめなど、私たちの耳に人の命が奪われるニュースが届いてきます。いとも簡単に人の命が日々奪われている世の中です。そうした中にあって、命が奪われることへの痛みや悲しみが色あせてしまい、本来持っていたはずの命を大切に思う心が薄れているように思うのです。 私たちの限られた命の時間は、神様の計画の中にあります。ですから命のことを考える時、神さまの御心を求めることから始めたいのです。預言者アモスを通して主は、イスラエル(信仰者)よ、まず私(神)を求めよ、そして生きよ。と主に立ち返ることによって命の尊厳を知り、与えられた命を生きる知恵を得ると教えているのです。
《祈り》主よ、私たちは自己実現のためには努力しますが、主を求める時間を作ろうとしていません。 主よ、まず心をあなたに向け、祈ることができますように。そして、あなたを求めることが、永遠に幸せになれる秘訣であることを、信じことができますように。
牧師 和田一郎
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